森博嗣氏


最近、野崎まど氏のknowを読みまして、急に森博嗣氏の本が読みたくなった。


森博嗣氏の小説、大学生のときにだいすきになって、くりかえしくりかえし読んでいる。


犀川先生と萌絵のシリーズがすきで、だいすきすぎて、最終巻の有限と微小のパンがずっと読めなかった。

終わっちゃう、と思うと悲しくて、さみしくて、終わっているけど自分の中で終わらせたくなくて、気がつけば3年?4年?読みかけでずっと置いてあった。だって、最後に読んだのは、小笠原諸島までのフェリーの中。これ一冊あれば、本には困らないだろうと思ったんだもの。読むのやめたから困りましたが。


でも、ついに、読み始めて、細かいところは忘れてるから、最初から読んだ。読み終わってしまった。


森博嗣氏の小説は、私がうまく言語化できないものを、淡々と、混じり気のない純粋な状態で、表してくれる。

つねづね、私は身体がじゃまだと思う。名前もじゃまだと思う。身体は精神のいれものであって、それ以上でもそれ以下でもない。だから身を飾るものにほんとに興味がなくて、周りとあわせるためだけに行なっている気がする。服をみるのは楽しいけど、それを着たいとはあまり思わない。たまにすごく気にいる服はあるけど、正直キャラクタづけであって、どれを着てもいっしょだ。精神だけで生きていられるなら、私はそうやって生きていたかった。名前も、私がつけたものじゃないし、ただの記号だった。


すべてがFになるを、読んだあとのあの感動は、伝えきれないと思う。ぜんぶがつながって、美しく収束し、すべてはFになるんだ。森博嗣氏の小説をすすめるなら、だんぜんこの一冊だと思う。本を苦手とする、理系のひとに読んでほしい。知ってほしい。こういう小説もあることを。


このシリーズで特にすきなのは、笑わない数学者。あの曖昧さを、苦手とするひとはいるかもしれないけど、幻想のような、水面の先のような、あの結末がすきだ。


決してメインではない、犀川先生と萌絵の関係性を読むのもすき。ときめく。萌絵みたいに、大切なひとに接してみたい。ぐいぐいいってみたい。

私は犀川先生と萌絵がすきなので、博士が出てくるとつらい気持ちだけど、博士はきっとそういう対象ではないのだ。信仰とか、崇拝とか、そういった対象なんだと思う。その中での、唯一。犀川先生。


森博嗣氏の小説だと、どきどきフェノメノンもすき。恋愛小説、とうたってるけど、これはほんとに恋愛小説なのかと思うくらい淡々としてる。


いちばんは、いちばんすきなのは、きじま先生。きじま先生の静かな世界。この本について書くだけで、いちにち分の日記になる。いままでよんできた中でもすきな本トップ3に入る。そのことも、この日記にいつか書くのだろうな。


これから女王の百年密室読みます。


この文章を書いてたら、電車降りるの忘れた。